林原美術館 HAYASHIBARA
MUSEUM OF
ART

コレクション

収蔵品

Collection overview

林原美術館は林原一郎氏が蒐集した絵画や工芸品と、旧岡山藩主池田家の大名調度品から成り立っています。 企画展または特別展において、収蔵品を順次入れ替えて展示しています。

収蔵品件数
刀剣・甲冑・絵画・書跡・能面・能装束・陶磁・金工・漆工品等、約9,000件を所蔵しています。
刀剣・拵
たち めい よしふさ 太刀 銘 吉房

 鎬造、庵棟、先反りのついた腰反り、中鋒。地鉄は板目に杢交じり、乱れ映り立つ。華やかな匂深い丁子乱れに、足よく入り葉交じる。腰元は小乱れ処々小沸つく。帽子は表裏ともよく締り、小沸つき、表は少しのたれて小丸に返り、裏は小丸に返る。茎はほぼ生ぶで、目釘孔は1つ、刃上がり栗尻で鑢目は勝手下がり。地刃とも頗る健全である。
 備前国の福岡一文字派は絢爛華麗な刃文を焼くことで有名。中でも、最も華やかな丁子乱を焼いた、吉房・則房・助真の三者はその代表工である。吉房は現存する有銘作は比較的多いが、本作はその中でも特に刃文が華やかで変化に富んでいる。
 本作には2通の折紙が付属しており、1通は11代本阿弥光温による明暦2年(1656)7月3日の折紙で、代金子15枚。もう1通の13代本阿弥光忠による正徳元年(1711)極月3日の折紙では、代金子70枚となる。
 名刀を多く所蔵した紀州徳川家の分家である伊予国西条藩松平家伝来。

指定
国宝
作者
吉房
日本
制作年/時代
鎌倉時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長71.1 反り2.7
たち めい びぜんのくにおさふねじゅうさこんのしょうげんながみつぞう 太刀 銘 備前国長船住左近将監長光造
つけたり きんなしじぬりさやうちかたなこしらえ 附 金梨子地塗鞘打刀拵

 鎬造、庵棟、重ね厚く、腰反りで踏張りがあり、小鋒で猪首風となる。鍛えは小板目つみ、地沸細かく、地景入り、乱れ映り立ち、地斑ごころある。刃文は丁子・小互の目、尖り刃交じり、匂深く足、葉よく入る。表の腰元は沸つき、裏の腰元は角張った小のたれが交じる。表裏とも物打辺りから上が小出来となり長光の特徴的な刃文となっている。帽子は上品な小丸。表裏とも棒樋を掻き流す。茎は生ぶで雉子股ごころあり。少し張った栗尻に目釘孔は3つ(内埋金1)、鑢目は勝手下がりとなる。
 長光は備前国長船派の二代目棟梁にて多くの名品が残されている。「長光」の作品は、江戸時代には所有者の「ご威光が長く光りますように」との祈りを込めて、将軍家や大名家の代替わりの贈答品の筆頭にあげられたという。
 伊藤博文や後藤新平と親交深く、また戦前の刀剣界を本阿弥琳雅とともに牽引した愛刀家である杉山茂丸氏の旧蔵。
 附属する金梨子地塗鞘打刀拵には、赤銅地の縁頭、鐔に黒漆塗の鞘には少し斑のある金の梨子地紛が蒔かれ、柄及び下緒は鱗文を白抜きした藍染めの鹿革が使われている。

指定
国宝
作者
長光
日本
制作年/時代
太刀:鎌倉時代、拵:室町~江戸時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長78.8 反り2.7 拵総長109.0
たんとう むめい でんまさむね めいぶつくきまさむね 短刀 無銘 伝正宗(名物九鬼正宗)
つけたり きんなしじぬりきんぎんかもんまきえさやあいくちたんとうこしらえ 附 金梨子地塗金銀家紋蒔絵鞘合口短刀拵

 平造、三つ棟、生ぶ、区で焼込み、水影立つ。地鉄は板目肌立ちごころに小杢まじり地沸厚くつき地景細かに入る。刃文は元は小さくのたれ先大きく乱れ、沸厚く深くつき、刃中二重刃かかり、金筋細かくしきりと入り冴える。帽子は表裏とも乱れ込んで返る。裏に腰樋掻き流す。茎は生ぶで、茎尻は剣形、目釘孔は二つで、鑢目は筋違となる。
 正宗は鎌倉時代、五ヶ伝の一つ相州伝の名工である。硬軟二様の地鉄を鍛え、地刃の沸の美しさが特徴で、以後の刀剣界に作風の上で大きな影響を与えた。
 名物の由来は、志摩国鳥羽藩主九鬼長門守守隆(1573~1632)が所持していたことによる。守隆はこの正宗を徳川家康に献上した。後に紀州徳川頼宣が拝領し、頼宣の子で伊予国西条藩の松平家の祖となる頼純に譲られ、同家に伝来した。また『享保名物帳』には代金子百枚と記されている。『武功雑記』によると慶長の頃に伏見城で見事な能を舞った五郎八(守隆の弟)が小早川隆景から拝領し九鬼家へ入ったとされる。
 金無垢二重鎺の上貝の台尻に「うめたゝ寿斎 彦一入」と針書があり、江戸初期の金工師・埋忠寿斎作の鎺であり極めて貴重。
 拵は金梨子地に西条藩松平家の家紋が金と銀で蒔絵され、後藤家の金無垢の獅子図の目貫が付く。

指定
国宝
作者
伝正宗
日本
制作年/時代
短刀:鎌倉時代、拵:江戸時代
材質/形状
鉄/平造
法量
刃長24.9 内反り 拵総長64.2
たち めい まさつね 太刀 銘 正恒
つけたり かわつつみさやいとまきたちこしらえ 附 革包鞘糸巻太刀拵

 鎬造、庵棟、腰反で踏張りあり、先少し伏しごころで、小鋒となる。地鉄は小・中の板目交じり、地景よく入り、地沸つき、映り立つ。刃文は浅くのたれ、小乱に足入り小沸よくつき、帽子は直ぐに先が小丸となる。茎は雉子股風で、浅い栗尻となり、目釘孔は1つ。鑢目は勝手下がりとなる。
 平安時代の備前国で活躍した刀匠群を「古備前物」と呼称し、正恒はその中でも友成とともに双璧をなした名工。比較的作品が多く残っているのは、製作当初から人気があり、大切に扱われてきたためと思われる。銘振りが多種あることから数代、或いは一門数人が存在するとされる中、本作の正恒が出来も銘も最も古調とされる。
 幕末の勝海舟を見出した幕臣・大久保一翁の遺愛刀とされ、明治時代には枢密顧問官だった水町袈裟六氏が所蔵し、その後、東京急行電鉄の代表取締役を務めた、昭和の愛刀家の篠原三千郎氏へ渡った逸品である。
 附属する革包鞘糸巻太刀拵は愛宕神社が所蔵する名拵・笹丸を模したもので、薄造りの鞘及び金具ごと革で包んでいるのが特徴である。

指定
重要文化財
作者
正恒
日本
制作年/時代
太刀:平安時代、拵:江戸時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長74.2 反り2.5 拵総長110.0
たち めい いち 太刀 銘 一

 鎬造、庵棟、腰反り、先少し伏しごころに中鋒となる。地鉄は小板目よくつみ、地沸細かにつき、乱れ映り立つ。棟焼あり。刃文は華やかな丁子乱れで、表裏とも大丁子目立ち、鎬にかかるほど焼きが高いところもある。匂い深く小沸つき、足入り、金筋かかる。帽子の表は乱れ込み、裏は湾れ込む。表裏ともに焼きは深く、掃き掛ける。茎は磨上られ、雉子股となる。浅い栗尻に目釘孔4つ、鑢目は勝手下がりとなる。
 備前国福岡一文字派の作。この銘に「一」とだけ刻す由来は不明とされるが、符号のため、もしくは天下一を誇る意味だと解されることが多い。一の字の刻み方に年代的な特色があり、斜めに、大振りにあえて文字とも言えない記号的なものを打っているものが最も古く、本作のように棟かどから無造作に、これもやや記号的に小振りに打っているものがこれに次ぐとされる。起筆・収筆があるとさらに時代がさがる。
 貴族院議員をつとめ、戦前戦後の鉄道事業を推し進め、自転車産業にも功績のある大蔵公望男爵の旧蔵で、戦前長く遊就館に出品されていた。

指定
重要文化財
作者
福岡一文字派
日本
制作年/時代
鎌倉時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長68.2 反り2.1
たち きくもん きくごさく 太刀 (菊紋) 菊御作

 鎬造、庵棟、腰反りやや浅く踏張りあり、小鋒となる。地鉄は小板目肌がよく詰み、地沸が細かくつき、乱れ映り立つ。刃文は小沸が交じった匂出来で、丁子乱れに足が所々入っている。帽子は直ぐで小丸に返る。茎は生ぶで、浅い栗尻となる。目釘孔は3つ、鑢目は勝手下がりで、鎺下に毛彫された十六葉の菊紋がわずかに残っている。
 鎌倉時代前期の後鳥羽上皇が備前、備中、山城の名工を召喚し、一緒に作刀、もしくは焼入れのみされたという作で、「菊御作」といわれる。招聘した刀匠の作風に寄るとされ、本作は備前一文字派の作風となる。現存約10口のうちの一口でとても貴重。
 土佐山内家16代藩主山内豊範の長子であり、貴族院議員、麝香間祗候となった山内豊景侯爵の旧蔵品。

指定
重要文化財
作者
伝後鳥羽上皇
日本
制作年/時代
鎌倉時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長74.2 反り1.7
たち めい みつただ 太刀 銘 光忠
つけたり きんいかけじゆうそくもんらでんぞうがんさやえふたちこしらえ 附 金沃懸地有職文螺鈿象嵌鞘衛府太刀拵

 鎬造、庵棟、身幅尋常で、反り深く、中鋒となる。地鉄は小板目つみ、地景細かによく入り、乱れ映り立ち、地沸細かにつく。刃文は重花丁子に蛙子丁子、互の目・尖り刃交じり、足よく入る。匂深く、処々小沸つき金筋入る。帽子の表は殆ど焼き詰めとなり、裏は浅くのたれて先尖る。茎は磨上ながら栗尻にて目釘孔は4つ、鑢目は勝手下がりとなる。
 備前国長船派の祖・光忠の数少ない在銘の太刀。長光、景光、兼光へと続く長船派の礎を築いた。光忠は銘鑑には古備前派近忠の子とされるが、一文字派から派生したなど諸説ある。
 明治時代には、第三次伊藤博文内閣で農商務相を歴任した伊藤巳代治伯爵の愛刀であった。
 太刀拵の目貫は金無垢の鳳凰図の目貫が附帯し、他の金具は銀製で、海野勝秀(?~1917、海野勝珉の甥)によって唐草と桐紋が彫られ、鞘の有職文様はすべて螺鈿で表現してある。

指定
重要文化財
作者
光忠
日本
制作年/時代
太刀:鎌倉時代、拵:明治時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長68.8 反り2.7 拵総長102.7
たち むめい でんくにむね 太刀 無銘 伝国宗
つけたり くろうるしぬりさやいとまきたちこしらえ 附 黒漆塗鞘糸巻太刀拵

 鎬造、庵棟、身幅は僅かに先細るが、鎬はたかく、腰反り深くつき、中鋒となる。地鉄は小板目肌立ちごころに地沸つき、乱れ映り立つ。刃文は匂出来の直ぐに小丁子に小互の目交じり、足。葉よく入り、匂口うるみごころとなる。帽子は小丸に返る。茎は生ぶで、雉子股風となり、先は浅い栗尻、目釘孔は2つ、鑢目は筋違となる。
 国宗は、備前国直宗派の刀匠で、三男ゆえ三郎国宗とも呼ばれる。鎌倉幕府に招聘され、相州鍛冶を指導した刀匠の一人でもある。さらに、鎌倉幕府が斬味の良いものを報告させて編纂した『注進物』では、山城国の刀匠「了戒」とともに報告数が最多で、当時から有名となっていた。
 米沢藩主上杉家伝来にて、上杉家の刀剣台帳の乾第三十三号の御刀及びその拵に該当する。
 拵の柄巻の下は、鮫革に漆箔を置いた「金霰鮫」を貼り、その上から紫糸を巻く。古雅な鐔や縁など赤銅地の金具には波に巴文を金彩する。桃山時代頃の上杉家によって作られたものとされる。

指定
重要美術品
作者
伝国宗
日本
制作年/時代
太刀:鎌倉時代、拵:桃山時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長81.5 反り3.7 拵総長121.4
たち めい つねつぐ 太刀 銘 恒次

 鎬造、庵棟、身幅広く、鳥居反り、中鋒となる。地鉄は小板目つみ、地沸細かくつき、澄肌ごころあり。刃文は中直刃で小足少し入る。帽子は丸く浅く返りよく締る。茎は磨上で、茎尻は切となり、目釘孔は1つ、鑢目は切となっている。全身に棒樋を掻き通す。
 備中国の恒次は鎌倉前期より南北朝にわたってこの間、三、四代は存在するとされる。中でも鎌倉前期の恒次は、後鳥羽院の御番鍛冶の一人でもある。本作は姿及び銘振りから鎌倉時代後期~南北朝時代の備中国万寿荘にて、左兵衛尉を冠した恒次の作とされている。

指定
岡山県指定重要無形文化財
作者
恒次
日本
制作年/時代
鎌倉~南北朝時代
材質/形状
鉄/鎬造
法量
刃長69.7 反り2.4
しゅみじんぬりりんちょうささりんどうもんちらしさやはんだちだいしょうこしらえ 朱微塵塗輪蝶笹龍胆紋散鞘半太刀大小拵

 岡山藩主池田家の家紋である輪蝶紋の金無垢の目貫以外や総朧銀製の半太刀仕様の大小拵。金具の作者は「田上保利」及び「雪江」と銘があり、幕末の岡山藩お抱え白銀師・正渡雪山に有縁の職人と考えられる。鞘には黒漆の上に輪蝶紋と笹竜胆紋を下地の黒を透かして残すように上から朱漆を微塵塗してある。柄には鮫革の上に博多織を撮み巻する。
 備前国岡山藩主池田家の調度類の台帳である『調度記』(岡山大学付属図書館蔵)に記載されている大小拵である。

日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
朴木・漆・朧銀
法量
大 総長100.0、小 総長62.5