林原美術館 HAYASHIBARA
MUSEUM OF
ART

コレクション

収蔵品

Collection overview

林原美術館は林原一郎氏が蒐集した絵画や工芸品と、旧岡山藩主池田家の大名調度品から成り立っています。 企画展または特別展において、収蔵品を順次入れ替えて展示しています。

収蔵品件数
刀剣・甲冑・絵画・書跡・能面・能装束・陶磁・金工・漆工品等、約9,000件を所蔵しています。
刀装具・金工
やたんざくずみところもの 矢短冊図三所物

 平家の武将である平忠度が、自身の読んだ和歌「行暮て木の下蔭を宿とせは花やこよひのあるしならまし」を短冊にしたため、これを箙につけて戦いに臨んだという『平家物語』の故事を題材とした三所物である。矢柄に短冊や文をつけ、目貫と小柄には忠度の和歌を金象嵌であらわしている。
 後藤顕乗(1586~1663)は、加賀藩前田家に招かれて金工の技を伝え、加賀金工の礎を築いた一人となる。後に兄の6代目栄乗が早世後、本家を継ぎ後藤家7代目となって徳川将軍家の御用を務めた。
 三所物は小柄、笄及び目貫の3点のことで、刀装具の中でも主要なものとして扱われ、通常は同一意匠のものを同一作者に作らせる。中でも後藤家は装剣金工の宗家として足利将軍家をはじめ、豊臣、徳川家に仕え、その三所物は龍や虎、濡烏、三番叟、能道具、花笄など、総じて先代からの固定化した図案が多い中、本作は極めて珍しい意匠である。

作者
後藤顕乗
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
赤銅・金
法量
小柄 長9・45 幅1.43、笄 長21.1 幅1.21、目貫 左)長4.44 短1.41  右)長4.48 短1.06
かものみあれずつば 賀茂のみあれ図鐔

 「賀茂のみあれ」とは、京都の葵祭りに先立って行われる下鴨神社で行われる、新しく生まれた神霊を本殿に迎える「御生(みあれ)」神事のことで、神馬に乗せてお迎えをする。本作はこの神事の様子を朧銀地に薄肉彫と片切刃を交えて表現しており、画工としても聞こえた長常の特色をよくあらわしている。本大小鐔の図は長常の下絵帳『彫物畫帳(ほりものがちょう)』(東京国立博物館蔵)に掲載されており、他の頁には同意匠で「神馬」と題した小柄の下絵も残っている。
 一宮長常(1721~1786?)は京都金工三傑の一人に数えられる名工で本作は長常作の大小揃いの鐔で貴重である。

作者
一宮長常
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
朧銀/丸形鐔
法量
大)長7.4 短6.9、小)長6.7 短6.2
にじゅうしこうずみところもの 二十四孝図三所物

 この三所物は中国の親孝行の故事を主題にしたもので、小柄は孟宗が雪の降り積もる竹林で病の母の為に筍を採る話を、笄には王祥が母の為に氷上に臥して魚を採る話を、目貫は楊香という少女が山中で遭遇した虎から父を守るため身を挺する話を、それぞれ色金を使って彩り豊かに表現している。
 後藤家は徳川将軍家の御用をつとめたところから、後藤家の作は家彫と呼ばれ、一般の求めに応じた、いわゆる町彫とは区別されている。菊岡光行は「活剣子」と号し、町彫の祖である横谷派の流れを汲む柳川直光のもとで学び、菊岡派を創始した名工。

作者
菊岡光行
日本
制作年/時代
江戸時代後期
材質/形状
赤銅、金
法量
小柄 長9.9 幅1.5、笄 長21.3 幅1.29、目貫 左)長3.72 短1.58   右)長3.77 短1.59
さんしゃずみところもの 三社図三所物

 本作の意匠である夫婦岩と日の出図の目貫は伊勢神宮を、鳥居と鳩図の小柄は石清水八幡宮を、灯籠と鹿図の笄は春日大社を意味する。それぞれ主題を描かず関連する事物で表現する「留守模様」にて三社を表している。灯籠の屋根には2㎜程のカタツムリが象嵌されており意匠だけでなく、技量の高さをも感じさせる逸品である。
 三社は伊勢神宮の天照皇大神は「正直」、石清水八幡宮の八幡大菩薩は「清浄」、春日大社の春日大明神は「慈悲」をそれぞれ象徴し、唯一神道の広まりと共に、庶民信仰として室町から江戸時代にかけて一般に普及した。
 後藤光美(真乗)(1788~1834)は、享和4年(1804)正月に家督相続し、後藤宗家の四郎兵衛家の15代目となった優工である。彦根藩主井伊家旧蔵。

作者
後藤光美(真乗)
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
赤銅・金・銀・素銅・朧銀
法量
小柄:長9.5 幅1.47、笄:長20.9 幅1.23、目貫:左)長3.48 短1.08  右)長3.49 短1.35
うじがわかっせんずみところもの 宇治川合戦図三所物

 本作は江戸幕府のお抱え金工師である後藤家宗家16代目を継いだ後藤光晃(方乗)(1816~56)作の三所物で、木曽義仲と源義経らの間で争われた宇治川の戦いを描いたもの。小柄には宇治川を渡る佐々木高綱と愛馬・生食が、笄には宇治川に乗り入れようとする梶原景季と、その愛馬磨墨が、目貫には、馬に跨ったそれぞれの武者を赤銅や素銅、金などの色金を使ってあらわしている。
 光晃は15代光美(真乗)の三男として生まれ、若銘を光年と名乗り、天保6年(1835)19歳で光晃と改め、宗家の四郎兵衛を襲名した。
 本作は紀州徳川家に伝来し、後に摂津国の豪商である鴻池家が旧蔵した品である。

作者
後藤光晃(方乗)
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
赤銅・金・銀・素銅
法量
小柄:長9.5 幅1.47、笄:長20.9 幅1.23、目貫:左)長3.01 幅1.74 右)長2.93 幅1.94
ふじみなりひらずつば 富士見業平図鐔

 丸形赤銅地の鐔の表裏背景には極微細な魚々子鏨が打刻され、表左上方には、雲上に見える富士山頂の雪は銀で、雲の下には足高山らしきものが彫られている。打ち寄せた波飛沫は金と銀、右下方には浜からそれらを望む在原業平と太刀持ち役の童の両者とも顔は銀、装束には金が施されている。裏側には岩に松・笹の葉は金で、右下には銀の立傘を持った仕丁が草鞋を結び直している様子を朧銀で象嵌した図となっている。
 最初に華美な右下の人物が目に入る。その目線の先と松の生えていく方向に目をやると、背景と同色の山麓にいぶし銀となった富士の山頂を見出すことで、『伊勢物語』「東下り」の一節へと至る。
 石黒政美は安永3年(1774)生まれの装剣金工師で、もともと幕臣であったが家業を継がず、狩野派の絵師のもとで絵を学び、花鳥風月を繊細な高彫色絵で表現して一世風靡した名工である。本作は銘から63歳の天保7年(1837)の作と知れる。

作者
石黒政美
日本
制作年/時代
天保7年(1837)/江戸時代
材質/形状
赤銅・金・銀・朧銀
法量
長7.8 短7.3
きっか・むしずさら 菊花・虫図皿

 金の蕊を持つ銀の菊花、緋銅の花弁の菊花など、九種類の表や裏を見せた菊花を寄せ集めて、一つの皿を形成している。花の上には二匹の蜂が蜜を吸っている。小さな蜂と、花弁一枚一枚の表裏の質感を変えた繊細な描写は、目を見張るものがある。花の表のデザインは、裏面と完全に対応しており、勝義の技術の高さをあらわす。裏面に「正阿彌勝義鐫」の銘があり、箱蓋裏には、明治28年(1895)7月の箱書きがある。
 正阿弥勝義(1832~1908)は津山で金工を家職とする中川家の三男として生まれ、岡山藩お抱えの正阿弥家を継ぎ、刀装具などを製作していた。しかし明治9年(1876)の廃刀令により、仕事と藩士としての地位を失った。こうした時代にあって勝義は、それまで培ってきた知識と技術で新しい時代に立ち向かい、明治時代を代表する金工家として活躍した。

作者
正阿弥勝義
日本
制作年/時代
明治28年(1895)/明治時代
材質/形状
銀・金・赤銅・緋銅
法量
縦25.9 横27.7 高5.9
かんこどりこうろ 諫鼓鳥香炉

 太鼓の上に鶏がとまっているという意匠は、諫鼓鳥とよばれ、善政により世の中がうまく治まっている「天下泰平」の世であることを現す意匠として為政者に好まれた。これは中国の伝説上の聖天子である尭帝が、朝廷の門前に太鼓を置き、自身の政道に誤りがある時は人民に太鼓を打ち鳴らさせ、その訴えを聞こうとした。しかし、尭帝の政治に誤りが無く、人民は太鼓を打つことが無かったため、鶏が太鼓に巣食う有様であった、という故事に由来する。
 本作は蓋裏自筆の箱書きによると、勝義76歳、没する前年の明治40年(1907)の作である。各所にみられる細密な彫りや、様々な金属技法を用いて制作されており、勝義の技術や知識が凝縮された作品である。

作者
正阿弥勝義
制作年/時代
明治40年(1907)/明治時代
材質/形状
銀、朧銀、金、緋銅
法量
高41.1
ろようだるまぞう 芦葉達磨像

 素銅を削り、彫刻で製作された像で、衣は緋銅、肉体は白四分一、錫杖の柄は赤銅、耳環や錫杖の先は金、杖の柄は赤銅(烏銅)、芦の葉は黒四分一、芦の花は銀で製作し接合している。
 本作品には勝義自身が記した「銅刻達磨大士造設ノ記」が付属し、南禅寺の寺宝である達磨像の絵に感銘を受け製作を思い立ったことが記されている。さらに前述の通り使用した金属の種類と場所が記載され、他に、達磨の衣を制作するために、インド風、特にサイアン派の衣の着方を習うため、神奈川にある真言宗の寺に人を使わしたことなど、考証を重ねたことが記されている。

作者
正阿弥勝義
制作年/時代
明治時代
材質/形状
素銅・緋銅・白四分一・黒四分一・銀・金・赤銅
法量
高39.5
えんこうおきもの 猿猴置物

 銀地の瓢箪と赤銅地の茄子を抱えた2匹の猿の置物。猿たちの目線の先を追うと、それぞれ蜂と天道虫がとまっている。瓢箪は「身代わりになって危険から守ってくれる」もので、形状から「末広がり」として縁起が良い。茄子は一枝に多くの実をつけることから豊穣を意味し、「毛がない」ので「ケガない」として「家内安全」と、何でも「成す」ことができるという意で、これまた縁起が良い。
 天道虫はお天道様(太陽)に見立て、天の最も高いところを目指す「高昇する(出世する)」意となり、蜂は「封」、猿猴の猴は「侯」と字音が同じで、合わせて「封侯図」を意味する。猿たちの目線を追うことで色々な縁起の良いものが繋がる作品である。

作者
正阿弥勝義
日本
制作年/時代
明治時代
材質/形状
金・銀・朧銀・赤銅
法量
各高18.0