林原美術館 HAYASHIBARA
MUSEUM OF
ART

コレクション

収蔵品

Collection overview

林原美術館は林原一郎氏が蒐集した絵画や工芸品と、旧岡山藩主池田家の大名調度品から成り立っています。 企画展または特別展において、収蔵品を順次入れ替えて展示しています。

収蔵品件数
刀剣・甲冑・絵画・書跡・能面・能装束・陶磁・金工・漆工品等、約9,000件を所蔵しています。
書跡
ごならてんのうしんかんかいし 後奈良天皇宸翰懐紙

 青い雲状の模様を漉いた打曇りの金銀泥料紙に、平安時代後期頃に成立した藤原基俊撰『新撰朗詠集』の「夏夜」の項に掲載されている漢詩と和歌が書かれている。歌意は共に夏の夜の短さを詠んだものである。
 後奈良天皇(1496~1557)は後柏原天皇の皇子で、学問を好み、清原宣賢や三条西実隆らを師として和漢の学に通暁、また書をよくされた。岡山藩主池田家伝来品。

指定
重要美術品
作者
後奈良天皇
日本
制作年/時代
室町時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦34.7 横56.5
ごようぜいてんのうしんかんしょうそく 後陽成天皇宸翰消息

 後陽成天皇(1571~1617)が、「三の宮」、すなわち天皇の第三皇子である政仁親王(のちの後水尾天皇)に対して送った消息。御所で行われる連歌の御会に勧誘したことに対して、三の宮が未熟を理由に辞退を申し出たが、なおも天皇は「我々も初心者である」と励ましながら出席を強く勧めていることがうかがえる。用件を書き終えた後、後陽成天皇の心遣いであろうか、源氏物語の講義の約束をしており、急いで筆をとったので乱筆となってしまったとの断りの追書を冒頭にいれている。岡山藩主池田家伝来品。

指定
重要美術品
作者
後陽成天皇
日本
制作年/時代
桃山時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦31.7 横85.0
こひつてかがみ よよのとも 古筆手鑑「世々の友」

 古筆の断簡(切)を系統的に折帖に貼り込んだ手鑑は、古筆愛好の風潮の中で、室町時代末期から行われるようになり、桃山時代から江戸時代初期に最も盛行した。
 『世々の友』と名付けられた本手鑑は、名物切や資料的価値の高い切が数多く含まれている。表面には聖武天皇の『大聖武』をはじめ、「如意宝集切」、「高野切」、「中院切」、「内裏切」、「敦忠集切」、「今城切」など九四葉が、『筆のはな』と揮毫された題僉が押されている裏面には「戸隠切」、「二条切」、「柏木切」、「顕広切」、「右衛門切」など百八葉が貼り込まれている。岡山藩主池田家伝来品。

指定
重要美術品
日本
制作年/時代
奈良~江戸時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦39.6 横33.5 厚11.1
いけだみつまさじひつにっき 池田光政自筆日記

 初代岡山藩主の池田光政(1609~1682)が、29歳の寛永14年(1637)から61歳の寛文9年(1669)までの33年間を綴った自筆の日記。藩政はもとより、対幕府関係、諸家との交渉、参勤交代、年中行事、冠婚葬祭など、その内容は多岐にわたる。殊に光政が時に応じて与えた教諭の文言を日記に書き留めており、藩政に並々ならぬ熱意を持って臨んでいたことがうかがえる。
 江戸時代初期から前期にかけての藩主自筆の日記は類例がなく、光政の日常生活を知る上で、又その治政を研究するためにも貴重である。岡山藩主池田家伝来品。

指定
岡山県指定重要文化財
作者
池田光政
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
紙本墨書
いしがいけもんじょ 石谷家文書

 石谷家とは、室町幕府の奉公衆(将軍の側近)で、13代将軍足利義輝に仕えた美濃国方県郡石谷(現、岐阜市石谷)に本領を有する一族。石谷家文書には、石谷光政(後に出家して空然と号す、生没年不詳)と、光政の養子である頼辰(生年不詳~1586)に宛てられた書状が多く収められている。
 本史料は、天文4年(1535)~天正15年(1587)までの約50年間にいたる、47通(全3巻)からなり、同家を離れた後、明治時代に現在の形状にまとめられたものと考えられる。

〈斎藤利三宛長宗我部元親書状〉
 天正10年(1582)6月2日に、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変の直前に長宗我部元親から斎藤利三に宛てて出された書状。元親は、信長の命(御朱印)に従って、阿波国の一宮、夷山城、畑山城などの地から撤退しており、海部・大西城は土佐国の門(入口)だから所持したいこと、甲州征伐から信長が帰陣したら指示にしたがいたいことなどを、斎藤利三に伝えている。

日本
制作年/時代
室町~戦国時代
材質/形状
紙本墨書
にほんこひつてかがみ 日本古筆手鑑

 奈良時代から江戸時代までの天皇・公家・僧侶を中心とした、243葉の古筆切が貼られた手鑑。特筆すべきは、今まで存在が知られていなかった藤原定家の日記『明月記』の原本の断簡(6行)が貼られていたことである。この断簡は一度使用した紙の裏側に書かれた形跡があり、これは『明月記』にみられる特徴のひとつである。このことから、内容を含め、定家の真筆である可能性が高いことが近年の調査で明らかとなった。
 内容は、定家が息子の為家を連れて、天皇の里内裏である閑院殿の殿舎を見廻ったときの様子で、この断簡に続く断簡(現在は所在不明)などから、建暦3年(1213)2月16日~21日の記述と推定される。

〈『明月記』断簡〉(※標出)閑院殿歴覧事
相具少将、為歴覧参閑院、敦通少将不□□□/相共見廻宜陽殿・敷政門・宣仁門・陣座・軒廊・南/殿・仙華・明義・無名・左青璅・殿上・神仙門・下侍・弓場/殿・校書殿東面[    ]・仁寿殿西土廂代等、一如大/内、日・月花門如普通中□高大、其南有華美釣台、/〈各廻西隔□〉内侍所、其南有反釣殿、西為殿下御直盧

日本
制作年/時代
奈良~江戸時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦38.8 横35.1 厚11.1
てんじゅいんしょじょう 天樹院書状

 天樹院(千姫:1597~1666)は徳川秀忠と江の娘で、最初豊臣秀頼に嫁ぎ、豊臣氏滅亡後は本多忠刻に再嫁した。池田光政室の勝姫の実母であり、忠刻没後は出家して天樹院と号し、江戸城に居した。承応3年(1654)に岡山藩内を未曾有の洪水が襲った際、江戸城から銀四万両を用立てて岡山藩を救い、また光政次女の輝姫と一条家との婚姻を取り持つなど、大きな影響力を持っていた。
本書状は端午の節句のめでたさを書き送ったもので、光政の嫡男、綱政の誕生を祝って書き綴ったものとすれば、寛永15年(1638)のものと推測される。岡山藩主池田家伝来品。

作者
天樹院(千姫)
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦31.1 横46.5
いけだつねおきあておだのぶながはんもつ 池田恒興宛織田信長判物

 織田信長(1534~82)が永禄6年(1563)11月に、池田恒興(勝三郎)の所領の内、大坊分などを持ち主のいない土地として恒興に与えることをしたためた判物であり、文書によって恒興の活躍が知られる最も古い史料である。前年に信長が美濃の斎藤龍興の稲葉山城を攻撃した際、恒興は斎藤方の稲葉又右衛門を討ち取っており、この論功行賞と考えられる。

作者
織田信長
日本
制作年/時代
戦国時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦25.5 横40.7
ようとくいんあてとよとみひでよししょじょう 養徳院宛豊臣秀吉書状

 天正12年(1584)の長久手の戦いで恒興が没した後、次男輝政(三左衛門)、三男長吉(藤三郎)の知行方を決定したこと、池田氏にも知行の折紙を与えるべき旨を報じたもの。秀吉が池田家の体制の立て直しを急いで行っている様子がうかがえる。
 本史料は日付を欠くが、内容から秀吉が池田氏の居住していた美濃国長良荘附近に在った時のものであり、秀吉が大坂に帰った6月21日より前か、大坂から再び美濃へ出た7月中旬より大坂に帰還した同月下旬までのものと考えられる。同年8月17日に、秀吉は池田氏に美濃の内で八百貫文の地を与えたことが他の史料に見える。

作者
豊臣秀吉
日本
制作年/時代
桃山時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦30.4 横53.4
せんのりきゅうじひつしょじょう 千利休自筆書状

 千利休(1522~91)は織田信長、豊臣秀吉に仕えた茶人で、侘び茶を大成させた。茶道の三千家の祖としても著名である。書状には宛名がないが、秀吉の茶頭の一人に宛てて利休がしたためたものと推測される。本書状には、利休が堺へ帰っている時に豊臣秀吉が大坂城内の山里茶室へ来て宿泊する、との知らせに対する利休の返事が書かれている。利休は急な知らせに驚き、次に大坂で茶を差しあげるために養生をおこたらぬ旨を記している。
 利休没後、その手紙は茶人たちに珍重されたため、偽物が横行した。この手紙の所持者は、手紙が本物であることを利休の孫の千宗旦に証明してもらった。宗旦が「宗易正筆 不審」として花押をすえ証明したものが、利休の書状と一緒に表具されている点が珍しい。岡山藩主池田家伝来品。

作者
千利休
日本
制作年/時代
桃山時代
材質/形状
紙本墨書
法量
縦14.3 横86.8
いけだみつまさがぞう おんゆめのず 池田光政画像(御夢之図)

 池田光政を描いた画像。光政の生前や没後まもなくの肖像画は確認されておらず、現存するものは孫の池田継政が制作に関与したものが多い。本図は、継政が延享3年(1746)の除夜の夢に見た光政の姿を描いたもので、いわゆる霊夢像である。
 光政の面貌は、ドングリのように大きな眼と、高い頬、そして強く結ばれた口の形状が特徴的に描かれている。継政が自ら描いた光政の画像は池田家内に大きな影響を与え、後に描かれる光政の画像も、基本的には本図を踏襲したものになっていった。岡山藩主池田家伝来品。

作者
池田継政
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
絹本著色
法量
縦49.2 横32.5