林原美術館 HAYASHIBARA
MUSEUM OF
ART

コレクション

収蔵品

Collection overview

林原美術館は林原一郎氏が蒐集した絵画や工芸品と、旧岡山藩主池田家の大名調度品から成り立っています。 企画展または特別展において、収蔵品を順次入れ替えて展示しています。

収蔵品件数
刀剣・甲冑・絵画・書跡・能面・能装束・陶磁・金工・漆工品等、約9,000件を所蔵しています。
武具・甲冑
こんいとおどしどうまる かぶと・おおそでつき 紺糸威胴丸 兜・大袖付

 黒漆塗の鉄札と革札を一枚交ぜとし、縹色の藍染組糸で威し、前立挙2段、後立挙3段、衝(衡)胴4段、草摺8間5段下りに仕立てた典型的な南北朝時代の胴丸である。小札板7段を垂れた大袖と、両肩の正面に杏葉を1枚ずつ垂れ、鉄黒塗48間鍍金総覆輪筋兜が具足される。兜・袖・杏葉が完存するものは少なく、きわめて貴重な一領である。本作は、八戸南部氏の系統である南部政長(?~1360)が、南朝二代目の後村上天皇(1328~1368)より拝領したと伝えられている。その後、八戸南部氏の子孫である遠野南部家に伝わった。

指定
重要文化財
日本
制作年/時代
南北朝時代
法量
胴高46.0 草摺丈28.4
いろいろおどしはらまき 色々威腹巻

 黒塗盛上げの本小札を、紅白・紅・藍韋の段々に威毛の色目を替えて威し、正面と左右が続き背面に引合せを設けた腹巻様式で、草摺は7間5段下りに仕立ててある。胴が著しく腰搾りで、小札の手法や絵韋・金物の意匠と併せ考えて室町時代後期のものと思われる。
 この腹巻は筋兜と共に後北条家の末裔である河内国狭山藩北条家に伝来し、2017年に岡山県重要文化財に指定された。また本作とは別の室町時代の腹巻、面頬も所蔵している。この腹巻は全く補修が入っておらず傷みが激しいが、往時の姿を今に伝える貴重なものであり、こちらも岡山県指定重要文化財に指定されている。

指定
岡山県指定重要文化財
日本
制作年/時代
室町時代後期
法量
胴高41.1 草摺丈26.1
くろぬりくろいとおどしおけがわどうぐそく 黒塗黒糸威桶側胴具足

 胴は黒塗の横板を接いだ桶側胴で、左脇下の蝶番を軸に前後二つに分かれる二枚胴となる。胸板には赤銅魚々子地唐草彫の覆輪が施されている。本来は7間5段下りの草摺がつくが、胴との接続部分がすべて切れ、本体とは別に残されている。兜は見上眉を打ち出した頭形鉢に、5段下がりの錣・日根野形の吹き返し一段が付き、吹き返しには赤銅泊蝶の据紋が施されている。
 織田信長の乳兄弟である池田恒興(1536~1584)所用と伝わる。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
桃山時代
法量
胴高44.1
くろぬりたてはぎどうぐそく 黒塗竪矧胴具足

 黒塗で前後とも竪矧5枚の二枚胴に紺糸威素懸7間5段下がりの草摺が付き、接続部などには赤銅の縄目文の覆輪がつく。竪矧胴とは、鉄板を縦に張り合わせて作られた胴のことである。鯖の尾ともいわれる兜には、池田家の家紋である揚羽蝶が、あたかも羽を広げているかのように意匠され、素懸威板札5段下がりの錣が付いている。小具足として、頬当、3枚竪矧裾2段板札毛引威の袖、手甲に泊蝶紋銀象嵌の施された鎖繋ぎ籠手、臑当、鎖繋ぎの佩楯が付属している。
 本甲冑は、初代岡山藩主池田光政(1609~82)所用と伝えられる。江戸の庶民は、戦国の威風をとどめた質実さから光政の家風を、「備前風」と称えた。黒を基調とし、一見簡素ながら、藩主が用いるのにふさわしい手の込んだつくりとなっているところに、光政の好みをうかがうことができる。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
江戸時代
法量
胴高45.1 草摺丈34.1
しらあやつつみおけがわろくまいどうぐそく 白綾包桶側六枚胴具足

 横板金を花菱繋ぎ浮文の白綾で包んだ六枚仕立ての桶側胴である。前後の立挙の発手(胴丸)を紺糸で威したもので、金具廻りは牡丹獅子文の絵韋で包み、金銅唐草透しの座に八重菊の笠鋲を打った八双金物を据えている。胴は吉祥文様の「亀甲花菱文」を浮き出すように織った白綾で包まれ、草摺など要所の隅にはハート形の「猪目」という破魔の意匠が施されている。籠手には、桜や梅の吉祥文様を象嵌した、円形の鉄板が鎖の合間に配置され、装飾と防御を兼ね備えている。黒塗頭形の兜には、金の日輪に不動の文字を入れた前立を飾っている。鍬形は、字音が「尚武」に繋がることから、武士に好まれた「菖蒲」が天に向かって葉を伸ばした形状で、左右一輪ずつ花が咲いている。
 二代岡山藩主池田綱政(1638~1714)所用の甲冑で、戦国の気風を残した初代藩主池田光政の黒塗の甲冑と比べ、平和な時代への変わり目を演出したかのような白を基調とした一領である。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
江戸時代
法量
胴高48.5 草摺丈34.0
たてわくもんおどしにまいどうぐそく 立涌文威二枚胴具足

 胴や大袖は、黒漆塗の小札で、胴、袖、草摺などを仕立て、赤地糸に白、萌葱、紫糸を用いて立涌文様に威した華やかな一領である。兜は総覆輪の星兜で、眉庇に波文の金物を据え、吹き返しや手甲には金蒔絵、またその他の金具にも、酒井家の家紋である剣酢漿草紋が配されている。前立は木彫で金塗した「珠持龍」と不動明王の化身とされる「三鈷柄剣」の2種を備えている。
 この甲冑は五代岡山藩主池田治政公の正妻である米子夫人(?~1793。姫路藩主酒井忠恭の娘)着用の一領で、鎧櫃に貼られた紙札によると、その後、七代藩主池田斉敏の金子夫人に受け継がれたことがわかる。同鎧櫃には甲冑の防虫と香りを纏わせるための「匂袋」や、所持者の加護を願った「御守袋」も同梱しており、江戸時代女性用甲冑の資料としてはとても貴重である。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
江戸時代
法量
胴高42.6 草摺丈31.8
くろぬりとまりちょうもんまきえうまやぐら 黒塗泊蝶紋蒔絵馬櫓

 馬櫓とは、馬の上に座して旅行するための道具で、馬の背に取り付ける。総体を黒漆塗りとし、背もたれの左右には向かい合う大きな泊蝶紋、欄干の各所には小さな泊蝶紋を金蒔絵であらわしている。前の手すり部分は上方に取り外しができる構造となっている。
 後に初代岡山藩主となる、鳥取藩主の池田光政が、寛永9年(1632)5月に叔父の岡山藩主池田忠雄の死去に伴う因幡・伯耆両国と備前との国替に際し、この馬櫓に乗って江戸に急行したと伝えられている。岡山藩主池田伝来品。

日本
制作年/時代
江戸時代
法量
高45.0 縦58.8 横73.5
とまりちょうもんぎんふくりんくら・あぶみ 泊蝶紋銀覆輪鞍・鐙

 黒塗、海無形の鞍で、前輪と後輪には銀の覆輪を回し、その中央に銀の泊蝶紋を据えている。前輪・後輪内側、爪先外側と居木には細かな螺鈿が蒔かれている。この鞍には四方手・切付・肌付が仕組まれ、両咲形鉄鐙が付属している。鐙には銀象嵌で牡丹唐草と龍田川文様があらわされ、「加州住勝九郎吉則作」の銘がある。
 本作品は初代岡山藩主池田光政所用とされ、黒塗を基調とし、一見簡素にみえるが、一つ一つの細工が丁寧に作られており、「備前風」と称された威儀のある一具である。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
桃山~江戸時代
法量
鞍 高37.8 縦40.0 横52.0 / 鐙 高25.0 縦28.7 横13.5
なしじきりとまりちょうもんまきえじょうき 梨子地桐泊蝶紋蒔絵床几

 床几は折り畳み腰掛けの一種で、戦陣の用具であるとともに、儀式の際にも用いられる。本作は池田輝政(1565~1613)所用と伝えられ、座面こそ残っていないが、総金梨子地の上に金蒔絵で五七の桐紋と泊蝶紋を交互にほどこした豪華な床几で、江戸時代初期の大名所用の品としてふさわしい作である。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
江戸時代
法量
縦53.6 横38.5
にしきのみはた 錦御旗

 慶応4年(1868)1月11日に行政官からの御達書とともに、当時備前少将であった九代岡山藩主池田茂政(1839~99)に与えられた「御紋御旗」、いわゆる錦御旗で、2旒あり共に長さ3.6mを数える。
 命を受けた岡山藩では家老の伊木忠澄(三猿斎)を総督とし、千数百の征討軍を編成し、この旗をひるがえして備中松山藩へ向かった。当時幕府の要職を務めていた松山藩主板倉勝静は、徳川慶喜に従い江戸へ行き不在であったが、執政の山田方谷(1805~77)が一同を制して恭順の意を示したため、岡山藩が松山城を無血接収した。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
慶応4年(1868)/江戸時代
法量
長さ361.2 幅65.1