林原美術館 HAYASHIBARA
MUSEUM OF
ART

コレクション

収蔵品

Collection overview

林原美術館は林原一郎氏が蒐集した絵画や工芸品と、旧岡山藩主池田家の大名調度品から成り立っています。 企画展または特別展において、収蔵品を順次入れ替えて展示しています。

収蔵品件数
刀剣・甲冑・絵画・書跡・能面・能装束・陶磁・金工・漆工品等、約9,000件を所蔵しています。
絵画
せいめいじょうがず 清明上河図(部分)

 北宋の都であった汴京(開封)での春の到来をよろこぶ清明節の祭のにぎわいを描く。原本は北宋時代の張擇端筆によるが、著名な図巻であっただけに、明代以降数多くの模本がつくられた。日本の画家によってもいくつかの模本が伝わるが、本図には、萬暦5年(1577)の年記と趙浙筆の落款がみられる。清代の著名人の跋も多く、当巻が類品のなかでも特に評価されていたことがわかる。祭日をめぐる当時の生活や風俗が精彩にとらえられ、緻密な描写とあいまって、すぐれた風俗画となっており、特に巻頭部の細密な描写は見事である。

指定
重要文化財
作者
趙浙
中国
制作年/時代
萬暦5年(1577)/明時代
材質/形状
絹本著色
員数
員数情報
法量
縦28.7 横576.0
あじあこうかいず アジア航海図

 本航海図は羊皮紙に彩色をもって、東は日本、西はアラビア、南はジャワ、北は中国・ロシアまで図示している。いわゆる朱印船貿易に用いた航海図で、当時の諸外国を知ることのできる類例の少ない地図であり、我国の対外交通史及び交易史研究上貴重な歴史資料である。明治時代には池田家が所蔵していることが知られるが、入手時期や経緯などの詳細については不明である。

指定
重要文化財
日本
制作年/時代
桃山時代
材質/形状
羊皮紙・著色
法量
縦50.7 横76.7
へいけものがたりえまき 平家物語絵巻

 平家一門の栄枯盛衰は、すでに中世において、絵巻や障屏画形式で描かれ、扇散し、屏風としてもかなり好まれた画題であった。しかし源氏物語絵にくらべると遺品に乏しい。本絵巻は江戸時代初期をすぎるころの古典リバイバルの風潮にもとづく作品の一つといえ、『平家物語』12巻をそれぞれ上・中・下の3巻とし、全36巻、描かれた絵の数も705場面を数える。絵巻として現存するものとしては日本で唯一の作であり、平家物語関係の資料としても貴重視される本絵巻を描いたと伝わる土佐左助については詳細不明であるが、漢画的な素養も修得していた画人のようにうけとれる。

作者
土佐左助
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
紙本著色
法量
各縦35.2
うずらたけのこず 鶉筍図

 筍もまじる竹林のもとで憩う、つがいの鶉を描いている。鶉などに見られる細緻な表現は、これが正統の土佐派の作になることを疑わせない。
 筆者の土佐光起(1617~1691)は、室町時代の最末期に廃絶していた土佐派を再興した。光起はやまと絵だけでなく中国院体花鳥画をも研究した。その最も顕著な成果が彼によって多作された鶉図である。本図はそうした鶉図の中でも特筆すべき出来映えで、落款より光起が左近将監になった1654年から剃髪して常昭と名のった1681年までの間の作と考えられる。

作者
土佐光起
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
絹本著色
法量
縦90.6 横34.5
たかのず 鷹之図

 延享4年(1747)11月に、8代将軍を隠居して大御所となっていた徳川吉宗(1684~1751)から、3代岡山藩主池田継政(1702~1776)に下賜されたもの。継政は隠居後の吉宗に、池田家所蔵の名画などを上覧しており、その返礼と考えられる。水辺の樹木にとまる鷹と、水面に映る鷹の様子をユーモラスに描いており、吉宗の画技の確かさがうかがえる。継政自らが記した趣意書によれば、このような慶事は御三家といえどもあまりなく、身に余る栄誉であったという。岡山藩主池田家伝来品。

作者
徳川吉宗
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
紙本墨画
法量
縦44.6 横63.2
ちょうせんつうしんしず 朝鮮通信使図

 朝鮮通信使が町中を進む様子を描いたもので、浮世絵師の羽川藤永が描いた「来朝図」と構図が似ているが、そちらに描かれた富士山はこの図には見られない。近年の研究によれば、羽川筆の「来朝図」は通信使ではなく祭礼行列を描いた可能性が指摘されているが、本図は清道旗の形状や日本人が輿を担いでいる様子など、通信使そのものを描いたものと考えられ、それらの祖本の可能性もある。多くの見物人も描かれており、服装などから江戸時代中期までの通信使一行の様子がよくわかる。岡山藩主池田家伝来品。

日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
紙本著色
法量
縦44.7 横57.0
かりにさくらず 雁に桜図

 本作は三幅を一画面としてとらえ、下部を満開の桜で彩り、右から左へ飛び立って行く雁をいかにも動的に描いた、大胆斬新な構図の作である。
 酒井抱一(1761~1829)は、播州姫路藩主酒井忠仰の次男として江戸藩邸に生まれた。兄は忠似で、抱一は忠因という。37歳の時、出家して権大僧都に任ぜられ、法名は等覚院文詮暉真。浅草、ついて根岸に閑居を営み、風流三昧の生活を送った。尾形光琳に私淑、新しさを含めた江戸琳派の確立をなしとげた。

作者
酒井抱一
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
絹本著色
法量
各縦128.0 横43.5
しょうふうばんじゅず 松風萬樹図

 浦上玉堂(1745~1820)が60歳代中頃に制作したもので、画面には雑木の繊細な枝振りや苔生した地面の起伏が、墨の濃淡と大胆な筆致で描かれている。中央には、柔らかな線で描いた山々と、鬱蒼とした樹林が麓に配されており、数軒の家屋や人の姿が見受けられる。
 玉堂は岡山城下石関町天神山の備中鴨方藩邸内に生まれ、同藩藩士であった父宗純が病没後わずか7歳で家督を継ぐと、第4代鴨方藩主池田政香(1741~1768)の側近として仕え、熱心に藩務に取り組んだ。一方で、儒学や詩作、琴などの学問や学芸にも励み、儒家や文人家との親交を深めていった玉堂は、自然が魅せる雄大かつ繊細な風景を題材に、人間の感性・感覚を超越した表現を「画」の中に見せるようになる。

作者
浦上玉堂
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
紙本墨画
法量
縦133.5 横63.5
りくり(げっかひろ) 陸離(月下飛鷺)

 本作は明治34年(1901)、日本美術院の第12回絵画互評会で二等賞を得た作品で、「陸離」という画題に対して描かれた。画面ほぼ中央に満月と、飛び立つ鷺の群れを大きく大胆に描いている。互評会では構図の着想の良さが高く評価された。満月の逆光を鷺のハイライトを用いて表現しており、春草の独創性が発揮された名品である。
 菱田春草(1874〜1911)は長野県飯田に生まれ、明治23年(1890)東京美術学校に入学。校長の岡倉天心の指導のもと、横山大観や下村観山らと共に、輪郭線を用いない没線描法を研究し、新たな日本画を切り開いた。その後病を患うも、重要文化財「黒き猫」・「落葉」(共に永青文庫蔵)など近代日本画の傑作を残し、明治44年(1911)に36歳の若さで没した。

作者
菱田春草
日本
制作年/時代
明治34年(1901)
材質/形状
絹本著色
法量
縦119.7 横50.4
りょうしょうのず 良宵之図

 満月の夜、露台に佇む女性を描く。柱にもたれて遠くを眺めるが、女性の視線の先は描かれていない。髪を丸髷に結い、手絡(髷に巻く飾り布)の色も落ち着いているところから既婚の若い女性と思われる。薄墨色の着物の裾には、楓と流水の模様があらわされ、着物の袖口からわずかに見える襦袢の赤が画面全体を引き締めている。
 露台に柱を配し、女性を描くという画面構成は、本作と同時期に描かれた「待月」(京都市美術館蔵)とほぼ同じである。「待月」では、柱が女性にかかるよう中央よりに配され、女性も後ろ姿で顔は描かれていない。一方、本作は柱を左に寄せ、満月の月明かりに照らし出される女性が情緒豊かに描かれている。

作者
上村松園
日本
制作年/時代
大正時代
材質/形状
絹本着色
法量
縦128.5 横42.4
たちびじんず 立美人図

 本図は左褄をとってそろりと歩く吉原の遊女を描いたもので、有名な「見返り美人図」と同じく晩年の作である。「菱河」の瓢印(瓢箪の形をした印章)も同印である。なお晩年の道号「友竹」は父の「光竹」にちなんでいる。

作者
菱川師宣
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
絹本著色
法量
縦84.2 横29.0
がんとううず 巌頭鵜図

 葛飾北斎は、版画のみならず、肉筆にも優れた作品を多く遺しており、その卓抜な構成力と鋭い描写力は、同時代の作家には求めがたい斬新な迫力をもっている。
 本図は海辺の巌頭に毅然として立つ鵜の姿をクローズアップしているが、その漆黒にぬれる羽毛、対象的に白く砕ける波しぶき、さらに一角を凝視する鋭い眼など、冷厳で緊迫した表現が卓越した名画である。「葛飾前北斎為一筆」と款し、「飾可」印(白文方印)があることから、制作年代は60代から70代にかけての気力充実した頃の作と思われる。
 北斎は宝暦10年~嘉永2年(1760〜1849)、90才の生涯を終るまで精力的に作画しつづけた稀な作家である。

作者
葛飾北斎
日本
制作年/時代
江戸時代
材質/形状
絹本著色
法量
縦41.3 横71.3